Feb 01, 2010

記憶に残るクリスマスプレゼント

プレゼントといえば、私が一番記憶に残っているのは、幼い頃に親から受け取ったクリスマスプレゼントです。当時、私は犬を飼って望んでいる何度も親におねだりするたびに、自分で世話をする年齢になってからと言われています。しかし、クリスマス当日の朝起きてみると、親が私の家のガレージに止まっている車のものがあったので、持って来てお願いです。そして私は渋々なものを取りに行きました。これで我が家の車の中に小さなマルチーズが座っていました。私は驚くと同時に、非常に満足して慌てて、そのマルチーズを抱いて開封、親のもとに飛んでいたのを今でも覚えています。
ドラマなどでよく悪徳商法の一つに押売りに来る場合がある。その定番商品が象牙の印鑑ではないだろうか。最近見ていたドラマの中でも家庭の神経を安定させるためには、象牙の印鑑を作るのが効果的だと法外な価格で押売りした。信じてしまう方もどうかとは思うが、心の弱さにつけこまれてしまうのは仕方ないかもしれない。
 東京電力の清水正孝社長は18日、参院予算委員会に参考人として出席し、福島第1原発事故への初動対応で、原子炉格納容器の内部圧力を下げる「ベント」作業が遅れ、事故が悪化したとの指摘に対し、「暗闇の中で作業を強いられ、通信機能も喪失して連絡が困難だった」と説明。放射能漏れを謝罪した上で「電源が喪失し、放射線量も高い厳しい状況だった。何より周辺への影響があるので、(住民が)避難(したか)をしっかり確認する時間が必要だった」と釈明した。

【地図と図解】福島第1原発周辺の累積線量結果

 清水社長が国会で答弁したのは事故後初めて。津波対策が不十分だったとの指摘には、「14?15メートルの津波は想定できず、そういう意味では甘かった」と認めた。【山本明彦】


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 JRグループは18日、大型観光キャンペーン「青森デスティネーションキャンペーン」(4月23日?7月22日)を予定通り開催すると発表した。東日本大震災以前からの計画で、震災を受けて開催可否を検討していた。「行くたび、あたらしい。青森」をメーンテーマに、震災復興を願い、「がんばろう日本!がんばろう東北!」をサブテーマに展開していく。

 開催地域は青森県全域と隣接する秋田県5市町(大館市、能代市、八峰町、小坂町、藤里町)。キャンペーン開幕時は、築城400年を迎えた弘前城や、太宰治がよく訪れたという「芦野公園」の桜がちょうど見ごろになりそう。震災の影響で運休していた「リゾートしらかみ」も秋田発1号・5号、青森発2号・4号が運転を再開する。

 18日現在、東北新幹線の福島?盛岡間などが運転を見合わせており、キャンペーン事務局は「青森へのアクセスはJR東日本のホームページで確認してほしい」としている。【毎日jp編集部】

 JR東日本は18日、東日本大震災の影響で発売を見合わせていたゴールデンウイーク(4月28日?5月8日)中の上越・長野新幹線の臨時列車指定券について、19日午後2時から発売することを決めた。東北・長野・秋田新幹線は引き続き指定券発売を見合わせる。

 予約はJR窓口のほか、インターネットを利用した「えきねっと予約」や「モバイルSuica特急券」も利用できる。【毎日jp編集部】

 プロ野球元巨人軍の鹿取義隆さんと定岡正二さんが18日、東日本大震災で被害を受けた福島県いわき市の小中学校を訪れ、子供たちに野球を教えた。

 読売新聞東京本社が被災者を励まそうと結成した「よみうり元気隊」の活動の一環。

 2人は体育館が避難所になっている江名小で子供たちからの野球の質問に答えた。津波で家を失った4年生(9)は「投球のコツを教えてもらってうれしかった」と満足げ。定岡さんは「目を輝かせて僕らのところに来てくれて、かえって勇気をもらった」と話した。

 高久小の体育館では、投球やバットの振り方を指導。元気隊は被災地の避難所などを順次、訪問する。

 海江田万里経済産業相は18日の参院予算委員会で、福島市に置く政府の原子力災害現地対策本部の本部長が頻繁に交代しているとの指摘を受け「ころころ代わってはいけなかった。おわびする」と陳謝した。

 自民党の岩城光英氏が「現地本部長がこんなに代わって責任ある対応ができるのか。現地を軽い扱いにしていないか」と指摘。海江田氏は「3月11日に現地対策本部をつくり、池田元久経済産業副大臣が常駐となったが、報告などで現地を離れた際に24時間詰めないといけないので代わりを任じた。代理ではいけないので、本部長の辞令を出した」と釈明した。

 現地対策本部の本部長はこれまで、地震発生後の3月11日から今月18日までの間、池田氏と松下忠洋同副大臣、中山義活同政務官の計3人がのべ6回交代したという。

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 「昭和の全盛期、これでクジラを撃ったんだ」。波止場が消え岸壁が割れた宮城県石巻市鮎川浜地区。捕鯨会社「鮎川捕鯨」会長の伊藤稔さん(74)は被災した事務所跡で、津波に耐えた旧式の1台に手をかけ淡々と話した。海中へもりを放つ鯨砲は「クジラの街」のシンボルだ。

【写真特集】日は昇る 被災地の朝

 地元の全5業者が08年に合併した同社は、4大捕鯨基地の一角を占める鮎川の起死回生策だった。合併効果で長い低迷から脱しつつあった今春。三陸沖の調査捕鯨を約1カ月後に控え新造船も出番を待つ中、津波が襲った。倉庫など計10棟が崩れ、現役の鯨砲7台も消え、新造船を含む捕鯨船3隻も傷ついた。

 だが「捕鯨がなくなれば鮎川が鮎川ではなくなる」と伊藤さん。幸い3隻とも修理すれば使える。北海道・釧路沖に場所を移し25日に始まる調査捕鯨で現地の船に派遣する乗組員のめどもつけた。修理の相談、釧路との連絡で携帯電話が鳴る。「一刻も早く再建し街に恩返ししたい」

 1日3往復で復活した路線バスで市中心部へ。曇り時々晴れ、段差や亀裂を越すたび揺すられる。震災前は通学・通院客が大勢いた乗客も、しばらく県立石巻商業高の柔道部2年、阿部雅俊君(16)と私だけ。通う先がないのだ。「道場は使えるの?」「行ってみないと分からない」。そう言いながらも、震災後初の練習に向かう阿部君はウキウキしていた。【狩野智彦】


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