Jul 24, 2011

LEDで約1年であった

昨年からLEDを使用し始めている。すべてではないが、2個使用しています。一度インストールすると、何もしなくても節約、節電されるので便利です。電気を頻繁に消去したりしなくても、毎月500円程度、電気料金が削減されました。まだ電力を節約するため、浴室やトイレにしようかと思っています。 LEDは、そうそうある光よりも真剣なような気がします。
HIDは、これまでのハロゲンランプに比べて非常に明るい光がされています。普通自動車のヘッドライトなど、ハロゲンランプを使用しています。ところが、このHID​​の利点がありますが、ハロゲンランプに比べてみると、その凄さを知ることができます。たとえば、寿命はハロゲンの約4倍としています。また、光の強さはハロゲンの2倍としている。
 20日午後10時20分ごろ、栃木県北部を震源とする地震があり、同県大田原市で震度3、福島県南部から茨城県中部、新潟県中部などの各地で震度2を観測した。気象庁によると、震源の深さは約10キロ、地震の規模を示すマグニチュードは3.9と推定される。

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 20日午後10時20分ごろ、栃木県などで地震があり、同県大田原市で震度3の揺れを観測した。気象庁によると、震源地は栃木県北部で、震源の深さは約10キロ、地震の規模(マグニチュード)は3.9と推定される。 

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 20日午後10時20分頃、栃木県北部を震源とする地震があり、同県大田原市で震度3を観測した。

 気象庁によると、震源の深さは約10キロ、マグニチュードは3・9と推定される。

 この地震による津波の心配はないという。

 17日午後4時14分ごろ、茨城県沖を震源とする地震があり、同県日立市と常陸大宮市で震度3を観測した。気象庁によると、震源の深さは約50キロ、地震の規模を示すマグニチュードは4.2と推定される。

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 ■長女の母校で呼びかけ

 今年も被災地に鎮魂の朝がめぐってきた。阪神大震災から16年を迎えた17日、遺族は身を切る冷気にさらされながら失った最愛の人を思った。余震が続く震災2日後に誕生した被災地の子は高校1年生になり、希望を胸に抱く。歳月は流れて震災を知らない世代も増え、そのことに心を痛め、遺族は記憶を語り継ごうとする…。だが、思いを受け止める子供たちの笑顔は青空のように明るい。その笑顔が、被災地の人たちを救う。

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 「みなさんの中に、(同じように)亜希子がいたと思うと、今でも胸がいっぱいです。何年たっても『地震』と聞くとあの日に戻ってしまい、心臓がつぶれそうです。みんなも悲しいことやつらいことがあると思いますが、今日のことを思い出して、命を大切に生活してください」

 阪神大震災で長女の亜希子さん=当時(11)=を失った神戸市須磨区の浅井鈴子さん(57)は震災から16年を迎えた17日、亜希子さんが通っていた西灘小学校(神戸市灘区)で全校児童に、呼びかけた。

 同市灘区の自宅が全壊。いっしょに寝ていたのに、気がつくと鈴子さんと亜希子さんは離ればなれに。「お母さん、痛い」「亜希子、頑張れ」−。互いの不安を打ち消すように暗闇の中で名前を呼び合った。

 昼ごろになって、がれきの下から助け出されたとき、「お腹がすいた」と、いつも通りに話す亜希子さんにほっとした。しかし病院へ運ばれた亜希子さんは急激に衰弱。不安げな鈴子さんに「お母さん、大丈夫やで」と最後の言葉を残し、亜希子さんは2月10日に亡くなった。当時はまだよく知られていなかったが、長時間身体が圧迫されることで突然容体が悪化する「クラッシュ症候群」だった。

 「同じ場所で寝ていたのにほんの数センチの差で助かった。なぜあのとき代わってやれなかったのか」。亜希子さんを失ったショックから何も考える気になれず、ただ習慣のように日々を過ごした。家族が見ていない、一人になると泣きくらして過ごした。

 だが数年が過ぎ、「亜希子のために何もしていない。あの子は卒業証書ももらえないのに…」と思い立った。西灘小学校へ依頼し、平成12年に時計が設置された。台座のプレートには「あの子は天使です」という鈴子さんのメッセージが刻まれた。

 一方で気持ちを取り直した鈴子さんは、命の大切さを伝えようと、子供たちへの語り部活動を続けてきた。

 しかし、震災16年を迎えようという昨年暮れ、再びショックな出来事があった。西灘小に、モニュメントが設置された経緯を知る関係者がいなくなったというのだ。「きちんと時計の意味を知ってもらいたい」−。鈴子さんは、再び同小で講演することを決めた。モニュメントが設置されてから、11年がたっていた。

 「震災を知らない次世代の子供たちに命ある限り一生懸命生きてほしい」−。鈴子さんはメッセージにそんな思いを込めた。


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