Feb 27, 2010
ドラゴンネストは、魅力的なゲーム
ドラゴンネストはEYEDENTITY GAMES社が開発したゲームです。分野でアクションといって、アクション性が重視されています。内容は、ダンジョンを攻略したり、対戦をしたりします。ドラゴンネストを楽しむには、基本的に無料ですが、課金をしてアイテム等を取得するのがより楽しく遊ぶことができます。夫のPCを購入して3ヶ月で故障しました。休暇を見つけて、コンピュータの修理を依頼。 2か3日がよいでしょうということですが、1週間経っても連絡なし。電話確認後2〜3週間かかりますといいましたよ。と言っていました。ここは二人を聞いているような錯覚していない、少しイライラ状態。 1ヶ月過ぎに連絡がないため、不満を店長に言っています。デスクトップだけで12マンヘトスプニダ。コンピュータの修理対応の悪に刺激を感じました。
◇ラークス、きょう復活3回戦
宮崎市で9日あった第82回都市対抗野球大会(毎日新聞社など主催)の九州地区予選準決勝で、ホンダ熊本(大津町)は、昨年の本大会準優勝の強豪JR九州(北九州市)に逆転勝ちし、第1代表決定戦進出を決めた。11日午後0時半から九州三菱自動車(福岡市)と対戦する。また、敗者復活2回戦で熊本ゴールデンラークス(熊本市)はビッグ開発ベースボールクラブ(那覇市)に零封勝ち。10日敗者復活3回戦のJR九州戦に臨む。
ホンダ熊本は5点を追う三回、適時打などで2点を返し、四球で満塁に。今大会1安打と不振だった江頭哲史選手が走者一掃の適時二塁打を放ち試合を振り出しに戻すと、続く佐久本匠、浜岡直人両選手の連続適時打で2点を加え、この回一挙7得点。逆転に成功した。四回に1点を返されたが、五回以降は山中浩史投手が相手打線を1安打に抑える好投で反撃を振り切った。
江頭選手は「あの場面で打てて最高にうれしい」。渡辺正健監督は「このままの勢いで代表の座を射止めたい」と意気込んだ。
ラークスは二回1死一、三塁、遊ゴロの間に先制すると、その後も小刻みに加点。七回には山内清二朗主将の本塁打でだめ押しの1点を加えた。この日誕生日を迎えた徳丸哲史監督は「相手も力のあるチームなので、守り勝つ試合を目指してやった」。本塁打を放った山内主将は「監督にはいいプレゼントができた」と笑顔だった。【金秀蓮、中村清雅】
▽準決勝
JR九州
050100000=6
00700000×=7
ホンダ熊本
▽敗者復活2回戦
ビッグ開発ベースボールクラブ
000000000=0
01101010×=4
熊本ゴールデンラークス
8月10日朝刊
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慈恵病院の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」に男児を入れ、男児が受け取る保険金を着服していた男が埼玉県警に書類送検された事件を受け、熊本市と病院は9日、それぞれ会見した。
ポストが悪用された形だが、病院の蓮田太二理事長は「連れてきた男の元で健全に育っただろうか。将来似たケースがあっても子供のためにはかえって良かったと思う」と述べた。匿名利用の仕組みも「匿名性を崩せば預けたり相談に来る人もいなくなる」と変更しない考えを示した。
幸山政史市長は「事実とすれば、本来のゆりかごの趣旨と大きく反するもので大変残念。匿名性は以前から焦点の一つで、新たに検証が必要と思う」と述べた。
ポストに入れられた子供の身元が分かった場合、通常は熊本市児童相談所から親などの居住地の児相に担当が変わる。今回のケースは数年が経過し子供も成長しているため、親族と確認後に児相が調査し検討する。【結城かほる】
8月10日朝刊
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◇本土決戦前に猛訓練
「今思えばあまりに原始的。しかし、あの時は特攻隊員として死に場所を得た思いでした」。人吉市北泉田町の元会社役員、村上和男さん(83)は「水際特攻」と呼ばれた人間機雷「伏龍(ふくりゅう)」の隊員だった。ゴム製の潜水具を着けて海底に潜み、頭上を行く米軍の上陸用舟艇を長さ約3メートルの竹ざおで突く。さおの先の五式〓雷を爆発させて舟艇撃沈を狙う「竹やり作戦」だった。
1945年6月。当時17歳の村上さんがいた愛媛県の海軍松山航空隊は、米軍の爆撃部隊によって壊滅的打撃を受けた。「B29やグラマン戦闘機の編隊が飛来して、こちらのゼロ戦や紫電は軒並みやられた」。戦局は悪化の一途。資機材の不足も極まり、村上さんらが乗る飛行機はもはやなかった。
「特攻隊を希望する者は一歩前に出ろ」。上官に言われ、部隊全員が志願した。その中から長男ではない泳ぎ達者約40人が選ばれた。しかし、特攻といっても飛行機はない。「どんな特攻か分からなかった。ボートで突っ込む『震洋』かと思ったが」。それでも姉には「奮闘一番敵艦にぶつかる覚悟でおります」と書き送った。
数週間後、広島県呉市の沖合、瀬戸内海に浮かぶ情島(なさけしま)の伏龍部隊に移された。初めて伏龍を見た時は驚いた。「とんでもないことになったな……」。しかし無我夢中で訓練を受けた。「今の平和な時代の人たちが見れば、ばかのようでしょう。でも自分がやらんと国が滅ぶ。その一心だった」
約80キロの装備を着けて最深20メートルの真っ暗な海底に潜る。酸素ボンベは誤って口で呼吸すると中のカセイソーダを吸って中毒を起こす。一つ間違えれば海上には戻れない。潜水ヘルメットを装着する「ガチャッ」という音を聞く度「今日こそ一巻の終わり」と覚悟した。
本土決戦を見据え速成訓練を受けた村上さんたちは9月、高知県室戸岬で米軍上陸に備える予定だった。その間際の終戦。「終わった、助かったというのが正直な思いだった」
「生きたい」。心の底ではそう思っている少年が「必死必殺」を口にする時代だった。「不条理でも、当時はそれが普通だった。だから戦争は絶対になくさないといけない」。戦後は義兄のOA機器販売会社で副社長まで務めた。50代で陸上競技に目覚め、08年、80歳で出場した全日本マスターズ陸上は百メートルで2位に輝いた。戦争にささげた「青春」を今、謳歌(おうか)している。【取違剛】
8月10日朝刊
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