Dec 14, 2008
コールセンターに聞いてみると
コールセンターに聞いてみることが意図される。もし、相手の電話番号がわからない場合だと思いがちですが、個人情報のことで厳しくなったために、コールセンターで教えてくれる可能性は減っている。良いものであることレクトリのような感じだが、日本人が生活を安心して過ごす数続く場合は、それで仕方がないと思う。ビジネスチャンスをつかむためには、電話の応対が非常に重要です。も忙しいと電話応対が困難ですが、電話応対のために人を雇うと人件費が高くなってしまいます。そこで注目されるのが電話代行サービスです。電話代行を利用すれば、忙しい時も電話応対を代わりに行って受けることができ、人を雇うよりも安いビジネスチャンスも逃さずに仕事に集中できると思います。
東日本大震災の巨大津波で沿岸の堤防が壊滅的な被害を受けたのは、強い水流で土台がえぐられる「洗掘(せんくつ)」と呼ばれる現象や「引き波」による強い打撃力など、複合的な要因が影響したことが専門家の現地調査で分かった。堤防の多くが津波を食い止められなかったことが被害の甚大化につながっており、巨大津波の破壊力の実態が明らかになった。(伊藤壽一郎)
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大震災による津波は検潮所で9・3メートル以上(福島県相馬市)、斜面を駆け上がる遡上(そじょう)高で最大40・5メートル(岩手県宮古市)にも達した。沖合の防波堤や海岸の防潮堤は明治三陸地震(明治29年)やチリ地震(昭和35年)の津波被害を教訓に築かれたが、波が堤防を越える想定外の事態に見舞われ、多くが破壊された。
高知大総合研究センター防災部門の原忠(ただし)准教授(地盤工学)によると、被害で目立ったのは堤防を乗り越えた波が壁の背後に回り込み、基礎部分をえぐる「洗掘」という現象だ。
原准教授は「壁を越えた津波は、巨大な水の塊となって加速しながら裏側に落下し、ものすごい勢いで海底や地面にぶつかり、土や石を洗うようにえぐり取った」と説明する。
堤防は洗掘で陸側の土台がえぐられて支えを失ったうえ、水没したことで浮力が働き不安定になった。さらに津波で海面が上昇したことで、堤防の上部が海側から押され、「てこの原理」で力が強まり、容易に転倒したとみている。
内陸へ押し寄せる「押し波」は、やがて海側へ引いていく「引き波」となる。東京大地震研究所の都司嘉宣(つじ・よしのぶ)准教授(津波工学)は、引き波による被害も大きかったと指摘する。
「斜面を駆け上がる押し波は徐々に力を失うが、引き波は逆に駆け下りながら加速する」ためだ。引き波は、がれきや自動車などを巻き込むことで打撃力が強まる性質もあり、押し波には耐えたが、引き波で壊れた防潮堤もあった。
都司准教授は「地形が海側に出っ張って湾曲している場所は、引き波を集めてしまうため特に被害が目立った」と話す。
津波が堤防を越えたことで、沿岸の木造家屋はひとたまりもなく破壊されたが、鉄筋コンクリート造りの建物は基礎の状態によって被害が分かれた。
九州大大学院のヘマンタ・ハザリカ教授(地震地盤工学)は「地盤にくいを打ち込んだ大きな建物は低層が被害を受けた程度だが、中小住宅に多い地面に乗せただけの『べた基礎』の建物は大半が倒壊した」と話す。海岸に近い斜面では、補強のため吹き付けたコンクリートが津波で崩れており、「梅雨を迎えて土砂崩れの恐れがある」と警鐘を鳴らしている。
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【起動 大震災から3カ月】(中)
「毎年今ごろは水揚げ前の準備で忙しい。今年はホタテが大粒で期待していたんだけんども…」
宮城県石巻市の雄勝(おがつ)地区の浜でホタテの養殖業を営んできた青木春雄さん(68)は避難所の中学校で所在なげに話した。
全国有数のホタテやホヤ、カキの産地として知られた雄勝地区は東日本大震災で大津波に襲われた。浜の多くは現在もがれきの中に家々や水産加工場の土台だけが残り、ロープのちぎれた漁具が転がる。
青木さんは漁船の通信士をしていた昭和62年、故郷の浜へ帰り、父親がほそぼそと続けていた養殖を引き継ぐ形でホタテを始めた。
津波で家も、船も、母(92)も、妻(61)も、すべて失った。
「女房の遺体は5月26日にがれきの山から見つかった。母親はいまだに見つからない。そのことがいつも頭を離れず何も手につかない。生まれてからずっと海にいたから海へ戻りたい。でも、どうしたらいいのか…」
◆養殖だけは絶やさない
宮城県漁業協同組合が4月末までに正准組合員1万400人を対象に行った調査によると、回答した9501人のうち62%が「漁業を続ける」と答えた。一方で、28%が「廃業を予定」と回答し、9%が「未定、検討中」だった。中でも雄勝地区は800人のうち8割に当たる632人が廃業と答えたという。
雄勝地区で45年間、ホタテとホヤの養殖を続けてきた伊藤弘さん(74)は家と船を流されたものの、津波対策で倉庫が高台にあり、漁具は無事だった。
だが、後継ぎにと思っていた長男、康彦さんを震災の3日後、大腸がんで亡くした。享年45。伊藤さんは「もう、辞めどきかな」と考えたという。
「思う存分やってきたから辞めることは悲しいとは思わない。ただ、オイたちが築き上げてきた養殖だけは絶やしたくない」
無事だったロープや浮き、ホタテの貝を磨く機械を浜の若者たちへ無償で譲り、こうはっぱをかけた。
「絶対に復活できっから。オイたちのこの海で、魚や貝がたくさん取れることに変わりはねえ」
養殖を含めた宮城県の漁獲量は北海道に次ぎ全国2位。被災地の漁師たちは、都市住民の食料を支えてきた人々でもある。彼らの今後はわれわれの食卓とも直結している。
◆今は3年後を夢見て
農林水産省の漁業就業動向調査によると、全国の漁師は毎年6千〜7千人ずつ減り、平成22年は17万2890人。60歳以上が50%を占める。漁船員を定年で辞め、年金を受給しながら故郷の浜で漁や養殖を続けるのが浜の典型的な漁師像であり、平均5トンの小型船は仲間うちでユーモラスに「年金丸」と呼ばれる。
農水省の漁業経営調査によれば、全国の漁師の平均漁労所得は21年、225万円。前年より31万円減った。魚や貝の流通価格が安いためだ。廃業を決めた老漁師には震災に背中を押された人も少なくないという。
一方で、養うべき家族を持つ漁師には廃業という選択肢さえない。多くは船や漁具など再建費のため、震災前の債務に加えて新たな借金を負う「二重ローン」を抱えることになる。
津波ですべてを失った青木さんは、漁協の調査用紙に「未定」と書いた。
「廃業と書いたら本当に終わってしまう気がして書けなかった。いずれ、やるときはゼロからのスタートなのだけんど。ただ、時間がたつにつれて、今は3年後くらいを夢見てやるしかねえとも思う」
再起する自分の姿をおぼろげながらに描き始めた。
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