Jul 16, 2011

カラーコーンの入札による弊害

コンタクトいわゆるカラコンファッション目的で付けることが多く、実際につけてみると、非常に洗練されて人気があることをよく知っています。しかし、カラーコーンをクリックして、角膜が損傷するなどの弊害も多くあります。カラーコーンは、普通のコンタクトのように消毒をきちんとして、自分の目に合ったものを装着して取り付けは、短期間にとどまるとしましょう​​。
最近、おしゃれなアイテムで適当に買ったカラーコーンの販売が増加しています。今まで接触は視力矯正のためのものであったが、時代の流れはすごいですね。そして、カラーコーンの販売が増えたことによる利用者の不適切な使用が多くなっています。異物が目の中に入れるのは眼球を傷つける恐れがあります。きちんと目のケアをしましょう​​。
 阪神大震災から丸16年を迎えた17日、県警守山署と湖南広域消防局は守山市石田町の北消防署で合同震災対応訓練に取り組んだ。

 災害発生時の連携を密にするのが目的。約20人が参加した。マグニチュード5〜6級の大規模な地震が発生したとの想定。倒壊した建物のがれきに見立てて積み上げられた木材や鉄パイプをチェーンソーやエンジンカッターで切断、機材の使い方を訓練した。

 県警守山署の伊谷徹志警備課長は「非常に効果があったと思う。これからも消防との連携を深め、災害に備えたい」と話していた。

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 阪神大震災から16年。あの日のことを語り継ごうと、震災を知らない全国の中高生らが、発生直後の報道写真を基に、被災者や撮影者にインタビューした「写真調べ学習プロジェクト」のパネル展が、江東区有明の東京臨海広域防災公園の防災体験学習施設「そなエリア東京」で、開かれている。

 プロジェクトは、神戸市の実家に帰省中被災したNHKアナウンサー、住田功一さんの呼びかけに稲垣成哲・神戸大教授らが協力して平成21年から22年にかけて行われた。住田さんは体験を防災学習の副読本「語り継ぎたい。命の尊さ」(一橋出版)にまとめたが、震災後に生まれた子供たちも多くなり、記憶の風化を危惧したという。

 同書に掲載された報道8社などの写真20枚について神奈川、静岡、京都、兵庫の6校1団体の中高大学生が関係者や現地を訪ねた様子を展示している。

 神戸大生3人が亡くなった神戸市灘区のアパートでは、元神戸大生が、倒壊した家の下敷きになった友人と交わした「出られるのかなあ」「あとちょっとだよ」というやりとりの直後、火が迫ってきて、友人を置いて逃げざるを得なくなった状況を語った。

 兵庫県北淡町(現淡路市)で女性が救出される様子を上空から撮影した産経新聞大阪本社の川村寧(やすし)カメラマンも淡路高校の生徒(当時)から取材を受けた。

 「事件や災害を記録するのが僕らカメラマンの仕事。十何年もたって、震災を知らない子供たちが話を聞きにきてくれると、撮影をしておいてよかったと思う」と話していた。

 プロジェクト代表でもある稲垣教授は「淡い記憶しかなかった学生らが、調査するうちに写真に写っていない歴史があることを知った。生の声を聞くことで震災を実感し、理解が深まった」と成果を語った。

 30日まで。無料。展示内容は同プロジェクトのホームページ(http://home.kobe‐u.com/sinsai/)でも閲覧できる。

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 阪神大震災から16年を迎えた17日、被災地の小中学校で、全員が「震災を知らない世代」となった児童や生徒らに、当時同世代だった若者が震災の体験や教訓を語り継いだ。「震災の記憶は風化させない」。3歳だった女の子は大学生となって家族の大切さを訴え、6歳だった男児は警察官を目指す。高校生だった少年は消防士になる夢を実現させ、それぞれの思いと未来への希望を胸に抱き、震災を知る若い世代が〈1・17〉を次世代への伝承に乗り出している。

 「今日、地震が起きるかもしれない。だから家族でご飯を食べたり、何気ない会話が幸せなことだと、心にとめておいてほしい」

 父親を亡くした関西大1年の小島汀(みぎわ)さん(19)=兵庫県芦屋市=は母校の芦屋市立精道中学校で、一言一言かみしめるように生徒たちに語りかけた。

 当時3歳。タンスの下敷きになった父の死を理解できず「一番の楽しみは救援物資のお菓子を兄と2人で食べること」だった。しかし成長とともに父がいない寂しさとつらさは募った。

 父が大ファンだったプロ野球・阪神タイガースが震災遺児を招待したイベントで星野仙一監督(当時)に「負けるな」と励まされ、前向きになれた。それでも震災は「忘れることができない」。生徒らに「震災を知らないではなく、これからは震災を知らない子に教えてほしい」と訴えた。

 警察官を志す神戸学院大4年の森崎龍太さん(22)=神戸市長田区=は、同市東灘区の市立本庄小学校で、「災害はいつ起こるか分からないから、備えることが大事」と身ぶりを交えて伝えた。

 6歳のときに被災。避難先の祖母宅に訪れた北海道ナンバーの給水車や、地元の商店街と協力して復興の観光事業に取り組んだ父親の姿を見るうち、防災に対する関心が高まった。

 県立舞子高校環境防災科1年の時、同県豊岡市で起きた台風23号の水害の現場に駆けつけ「人助けにやりがいを覚えた」。大学でも防災を専攻し、災害時の安否確認や救助を担う警察官の採用試験を受けた。

 一方、芦屋市の市立山手中学校では、震災をきっかけに消防士を目指した神戸市消防局予防課の竹中邦明さん(34)が「それぞれができる方法で困っている人を助けてあげて」とのメッセージを送った。

 高校3年のとき、神戸市東灘区で被災。けがもなく自宅も無事だったが、震災の時、避難所で積極的に人のために働けなかったことが心残りに。テレビでレスキュー隊ががれきの下の生存者に「もう少し頑張ってください」と声をかけるシーンをみてあこがれた。

 いったんは一般企業に就職したが「やってみないと後悔する」と決心。辞表を出して猛勉強を重ね、27歳で念願の消防士となった。

 「震災のときにできなかった人助けをしたい」。そんな思いを子供たちに訴えた。

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