Jul 20, 2010
私の弟が登校しないことがありました
私の弟は中学時代不登校だった。家庭の事情で弟と一緒に暮らしていないのですが、10年ぶりに母親に会いに行くと弟は登校している友人2人が家にいました。妹は、無事に中学は卒業したが、その後高校に行っていません。家庭の事情もあるので、私はちょうど今の状況から脱することではないかと、父親に相談しました。父は顔が広いので、弟の性格を見てよい仕事を見つけてくれました。そして、もう6年くらいは経つでしょうか。父で行われた職場でずっと熱心に懸命に働いています。学歴は中卒だが、早いうちから社会人になり、今も楽しく続けていて本当に良かったです。今の世の中、いろいろな事情で、小学校時代から引きこもり、いじめなどで高校にいけない人がいます。家庭の事情もあると思うのですが。しかし、ほとんどの理由は、いじめのようなものではないでしょうか?しかし、学校に行くことがなくても勉強をしたい人はたくさんいます。当時の通信制高校があります。通信制高校は、まさに遠隔教育です。学校に行くだけ勉強はありません。様々な形で勉強する機会が増えて欲しいものです。
先ごろイスラエルリーグ王者のマッカビ・テルアビブと契約を結んだジョーダン・ファーマーが、現地25日に新天地での抱負を語った。なお、ファーマーは、ロックアウトが解除され次第、NBAに戻れることになっている。
ユダヤ系のガードであるファーマーは、2010年にニュージャージー・ネッツへ移籍する前、ロサンゼルス・レイカーズで2度のNBA王者を経験。ロックアウトが解除され次第、イスラエルを離れることになるが、「俺は今、このチームのことに集中しているし、チームを良くするために貢献したい」とコメントした。
ファーマーは以前にイスラエルを訪れてマッカビの試合を見て以来、このチームでのプレーに興味を持っていたもよう。ちなみに、ファーマーの母親はユダヤ系、義理の父親はイスラエル人である。
マッカビのデイビッド・ブラット・コーチは、ファーマーについて「ジョーダンは、過去にイスラエルにやってきたガードの中で、最もエキサイティングで特別な選手の一人だ」と、大きな期待を寄せている。(STATS-AP)
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日本高校野球連盟は26日、大阪市内で審議委員会を開き、第93回全国高校野球選手権大会で準優勝した光星学院(青森)の選手3人が昨年末に帰省先で飲酒していた問題について協議し、同校を厳重注意とした。
光星学院は今秋の山口国体の出場が決まっていたが、同校から辞退の申し出があり、高野連がこれを受理。代わって補欠校の唐津商(佐賀)が出場する。新チームで臨む秋季大会出場は認める。
審議委の西岡宏堂委員長は「飲酒がルール違反という認識がない。学校はしっかり教育してもらわないといけない」と語った。光星学院に対しては再発防止に向けた改善計画書の提出を求める。
3人は甲子園に出場。飲酒は選手権大会後に発覚し、学校側は22日に事実を確認後、3人を停学処分とした。
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第12戦ベルギーGPでF1デビュー20周年を迎えたメルセデスGPのミハエル シューマッハは、自らのキャリアを振り返り「後悔はあまりないし、誇りに思う」と語った。現地時間(以下、現地時間)25日、『ロイター』通信が伝えている。
現在42歳のM.シューマッハは、1991年8月25日のベルギーGPでジョーダンからF1デビュー。その後、20年間のキャリアの中で通算91勝、68ポールポジション、さらにベネトンとフェラーリで7度のワールドチャンピオン獲得と数々の記録を打ち立て、F1史上最も成功したドライバーである。さらに昨年は3年間のブランクを経てF1復帰し、大きな話題となった。
その一方で、過去にはウィリアムズのデイモン ヒルやジャック ヴィルヌーヴなど、タイトルを争うライバルをコースから押し出そうとしたり、クラッシュしたこともあり、2006年のモナコGP予選ではラスカス コーナーでマシンを止め、当時ルノーのフェルナンド アロンソのポール獲得を妨害したなど、数々の問題を起こしてきた。
ベルギーGPの公式記者会見に出席したM.シューマッハは「普通ではない状況だし、もちろん最初から予想していたことじゃない。確かにどんな人のキャリアも、簡潔にまとめたり、ある程度評価したりできると思う。僕の場合は、20年かかって自分のしてきたことをすべて受け入れている… 間違いなく後戻りできたら、違うようにやっていただろう。まとめると、僕が着ている服、僕の内側に着ている服は潔白だと思うよ。これについては大満足だ。後悔はあまりないし、全体的にはこれまでのことを思うと、とても興奮しているし、誇りに思う」と過去のミスを受け入れつつも、自らの正当性を主張した。
しかし、イギリスのモータースポーツ専門誌である『F1レーシング』のインタビューの中では、D.ヒルとのバトルについて「限界を越えたこともあった」と認めてもいる。
ベネトン、フェラーリ時代からM.シューマッハとともに戦ってきたメルセデスGPのチーム代表、ロス ブラウン氏は同誌の中で「言い訳はしない。起こらなければよかったと思うこともあるからね。しかし、ときどきスイッチが間違った方向に弾かれることがあるし、ドライバーはやってはいけないことをするもんだ。ラスカスの件は必然性がなかった。我々のマシンはよかったし、ポールを獲れなくてもピットストップで簡単に勝てただろう。ただこの引き金が再び引かれただけなんだ。彼はやってはいけないことをやったこともあるし、反省している。でも、それは天才のひとつの一面なんだ」と分析していた。
一方、公式記者会見に同席したレッドブルの王者セバスチャン ベッテルは、M.シューマッハのデビュー当時はまだ4歳だったものの、「ミハエルを最初に知ったのは、1991年か92年だったと思う。たぶん、幼稚園のオモチャのクルマでね。もちろん、すごく尊敬しているよ… 彼は子どもの頃のヒーローなんだ。今はあまり誉めることはできないけど、彼は優秀なドライバーだと思う」と、その偉大な功績を称えていた。
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